身近な存在であるお姉さんががんにかかられたということで、大変なショックを受けていらっしゃるかと思います。「何かしてあげたい」という気持ちも痛いほど伝わってきます。にもかかわらず、感情的にどなられてしまったということで、Aさんが無力感を抱くのは無理もありません。
しかし、私ががん宣告されたときもそうでしたが、罹患者にとって、自分の感情を吐き出せる場というのはそれほど多くないということも事実です。たとえ病気になっても、人間が社会的な存在である以上、人間関係などは簡単に変わるわけではないですし、できるだけ家族以外の他者には迷惑や心配をかけたくないもの。
そうなると、つい身近な存在である姉妹や両親に、気持ちをぶつけてしまうものなのかもしれません。もちろん、非もなく怒鳴られるAさんのお立場的にはやるせない気持ちになるかもしれませんが、逆に、「気の置けない私にだからこそ、他では出せない感情を吐き出せているんだ」と考えられないでしょうか。そして、そういった場があることは、お姉さんにとって十分価値のあることのはずです。
今後も、「話くらいなら聞けるからいつでも言って」と声を掛けてあげるだけで、お姉さんは精神的に救われると思います。
Aさん、あなたは無力ではありません。十分、お姉さんの力になっていると私は思います。
(了)
回答者:花木裕介(一般社団法人がんチャレンジャー 代表理事)
コメントをお書きください
あんちゃんさん (土曜日, 10 8月 2024 19:05)
姉が希少ガンと呼ばれるガンに罹患しました。幼い頃からそれほど仲がよかったとは言えませんが、育った環境の愚痴をいいあえる唯一の存在です。
ガンになったという現実はまだ
何か悪い夢のようです。
苦しいのは、悲しいのは、
両親が高齢でありながら
生きていることです。
高齢の両親よりも姉が先に
逝ってしまったら、両親の悲しみやもどかしさや辛さ、苛立ちを一人で受け止めていかねばならないこと、一人で
やがては両親を看取らねばならない責任の重さを想像するだけで、押しつぶされそうになります。そして、姉の生きたいという気持ちを思う時、不憫でたまらなくなります。
両親の口癖は
十分に生きたのだから
死にたい、です。
姉は、娘や孫のために生きていたい、です。
死ねない苦しみと
生きたい悲しみの
狭間に自分はいます。
くるしいです