『とある日、担当の看護師さんが点滴の針を2回打ち損ねた。普段なら、「すみません、僕の血管が細いんですかね」と返す余裕があったりするものだが、このときはつい、「もういい加減にしてくださいよ!」と声を荒らげていた。こんなときこそ笑顔で……と思うが、理性ではそう思いつつ、もはや体が反応しない』
【出典:「青臭さのすすめ」(はるかぜ書房、花木裕介著)】
2ヶ月間に及ぶ抗がん剤治療とその後待ち受けていた計3回の入院を含む苦しい苦しい放射線治療。水を飲むのも辛いほどの喉の激痛と自由のきかない体への苛立ちから、私は看護師さんや薬剤師さんにそっけない態度を取ったり、当たり散らしたりしていました。
入院時は、一日に延べ20人近く入室してくることもある医療従事者の方々。正直、こちらも気を遣ってはいましたし、できるだけ笑顔で、誠実に対応しようと思っていました。でも痛みがきついとそれすらもできなくなってしまいます。
悪気はないものの、辛く当たってしまうことに申し訳ない気持ちが募ります。冒頭の注射を打ち損じた看護師の方に対しても、内心はそんな気持ちを抱いていました。痛みも耐え難いのですが、同じくらいに、自分が自分でなくなりそうなことが耐え難かったです。「俺ってこんなに人に配慮できない人間だったのか」と。自分で自分を責めていました。
そんな私が、患者として救われたのは、こちらの辛い状態や気持ちにも意識を向けて共感しようとしてくれた医療従事者の方々の存在です。100%私の気持ちをわかっていただくのは難しいと理解していましたが、少しでも寄り添おうとしてくれることの伝わる言葉をかけていただけたことで、物理的な痛みは変わらずとも、気持ちが少しばかり和らぎ、痛みにも耐えることができました。
それは、放射線治療により喉の痛みが最も辛かった最後の入院中の出来事。
私はその頃、入室してくる看護師さんにほとんど口を利くことができませんでした。言葉を発することすら痛くておぼつかないのです。挨拶もろくにできない自分に苛立つ私。そんなとき、看護師さんは私の状況を察して、こんな風に声をかけてくださいました。
「今、とても辛いですよね。それなのに、気持ち100%わかってあげられずにすみません。でも、何か少しでもお役に立てることがあれば、いつでも声かけてくださいね」
どんなに効く痛み止めよりも、私の気持ちに寄り添おうとしてくれたこのひと言が、私にとって有り難い薬になり、その後の治療にも耐え抜くことができました。「こういう風に想ってくれる看護師さんがいてくれるのなら、自分も最後まで頑張らないといけないな」と思ったのです。
もう一つのエピソードを紹介させてください。
がん治療の最中は、時に、話すのも辛いくらい心が塞ぎがちになるものです。しかし、だからと言って、「絶対誰とも話したくない」というわけではありません。親身に自分の気持ちに耳を傾けてくれる医療従事者の方になら心を開けるものですし、むしろ自分自身のことを聴いてもらいたくなるものなのです。
2回目の入院中、DVDやら雑誌やらをごっそり持ち込み、気を紛らわせていた私に対して、とある看護師さんはさりげなくこんな言葉をかけてくださいました。
「あっ、このドラマ、私も好きなんですよ。いいですよね」
この頃は最大の痛みではないものの、すでに喉の痛みがかなりありましたので、看護師さんの言葉には返事をしたりしなかったりという状況でしたが、このときは私のほうから自然とこんな言葉を返していました。
「そうなんですか。僕もなんです。時間がたくさんあるので、このタイミングで全部観ておこうと思って……」
その後、勢い余ってついこのドラマについて話し込んでしまったのですが、自分の病状だけでなく、状況も含めて興味を持ってくれたことが何より嬉しかったのです。そして、「話を聴いてもらえた」という事実も、「共感」と同様に、苦しい治療を乗り切るモチベーションになりました。
もちろん、多くの病院では、患者さん一人ひとりにそこまで時間をかける余裕はないかと思いますし、看護師さんをはじめ医療従事者の皆様はシフトで動いているでしょうから、じっくりと個々の患者さんにかかわることは容易ではないと思います。
それでも、「たったひと言」気持ちに寄り添ってくれるだけで罹患者は救われるものなのだということをぜひ覚えておいていただけたらと、現在も経過観察で通院中の身としては心底願っているのです。
(了)
回答者:花木裕介(一般社団法人がんチャレンジャー 代表理事)
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次郎 (木曜日, 27 2月 2020 21:30)
素晴らしい話をありがとうございます。
しかし、同じ絶望の、嵐を経験したことがない人には共感とか、距離感は難しいと感じました。これからも応援してます。